稽古内容さらに詳しく

何故、体格や力といった肉体的要素が関係ないのか?

ひと昔前までの日本人は小柄で胴長短足

西洋の文化、風習が浸透したこともあってか、現代の日本人は8頭身、9頭身の人もちらほらと随分スタイルが良くなってきましたね。当然求める体系も西洋人に倣ったものであり、筋肉質で引き締まった西洋の彫刻像のような体系であることは間違いありません。

見た目の良い西洋スタイルを倣うのは良いのですが、せっかくの素晴らしい日本的な身体使いまで失ってしまうのはどうかと思います。江戸や明治時代の日本人を映した写真などを見ても分かりますが、お世辞にもスタイルが良いとは言えず、小柄で胴長短足。しかもお腹はぷっくらとしています。

そんなDNAを持つ日本の武術にあるものは、体格に依らない身体使い。

小柄で胴長短足といった体格を十分に活かすための術なのです。

体格に恵まれた西洋人は片手に剣ともう片方には盾を持ち、日本の侍は両手で一本の剣を構え、攻防一体の動きとなっています。(二刀流もありますが)そこには”中心”というどっしりとした感覚があり、身体をパーツではなく統一活性化させることで使う術があるように思います。

元来体格に恵まれた人は筋力を鍛えることで益々強くなることでしょう。しかしそうでない人が同じように筋力を鍛えて果たして同様の成果が得られるのでしょうか?

そこには肉体の差を埋めるもう一工夫が必要になってくるものと思われます。それが日本人特有の身体使いなのであり、人に元来備わっている”氣”を活かすための身体使いなのです。

 

人に元来備わっている能力や感覚・・・

あなたは活かそうとしてますか?

むしろ我々現代人は折角備わっている人間の能力、感覚を益々低下させてしまうような日常を送っていると思いませんか?

スマートフォンの普及その他、世の中が益々便利で快適になっていくことはとても素晴らしいことです。ですが便利なモノが溢れ、よりスピーディーに、より簡単に・・・。と人間が”手間”から開放され”楽”になることを求めていく分、逆に心の働きや氣の働きは乏しくなっているように感じられます。

 

無限道場はそんな時代の流れに逆行し、目の前の一つ一つにより手間をかけ、丁寧に接していく稽古を通じて感覚を高め、心氣体の働きを整えていくことを目的にしています。

 

一つ一つに手間を掛けること。それがやがて信じられないチカラを生む

「合氣は一日にして成らず」

現代は「誰でも簡単に短期間で修得できる」という物が巷では流行っているようですが、我々の目指すものはその逆であるとも言えます。”地味な稽古の積み重ねを楽しむ”という内容です。特に我々のような武道・武術の世界においては短期間に成果を出すということを求め過ぎると、動作に誤魔化しが入り、本質から逸れていくことにもなりかねません。我々が大事にしているのは技を掛けるということではありません。基本に沿うように自分を整えていくことなのです。

目の前の一つ一つに丁寧に心を向ける。この繰り返しが活きた氣の働きを生み、活きた氣を運用できるよう活きた体造りを目指す。そしてこの循環は活きた気付きを生み・・・

日々のサイクルがいずれ必ず大きなチカラとなり、技は自然と掛かる(結果が出る)ようになってくるのです。

 

ただひたすらに

●真直ぐ(直線的)な動きを求めること
(最短、最速な動作には無駄な力みが要らない)

●丁寧、精妙な動作に心がける
(丁寧に身体を使うことでより大きなチカラとなる)

●大きな姿勢、大きく開くこと
(大きな姿勢は技に勢いをもたらす)

●変化を敏感に感じとれる感覚の練磨
(皮膚感触、目には見えない変化を感じとれる観る目の養成)

日々の稽古練磨を通じて、その中にある小さな変化を歓ぶ。この積み重ねが強靭な心氣体を養成すると信じています。無限道場の求める合氣は何か特別なことを稽古する訳でも、特別な人だけが得られるという感覚でもありません。目の前の一つ一つにより丁寧に、より精妙に接する稽古を積むことで、人が誰でも持っている感覚を練磨すること、眠っている感覚を呼び覚ますことが可能となってくるのです。