フィルター越しに判断している

「言ってることが理解できません」

それに近いニュアンスで、私に疑問をぶつけて来られる人がおられます。

また、「頭では理解できるんだけれど、身体がついてきません」と言われる方も。

そんな方々に触れる度、私はこう思います。

「多くの大人は皆、自分の経験からなるフィルターを通して、物事を判断するのだなぁ」

それも目の前、耳の前には幾重にも重なるフィルターがあり、真直ぐ見えない、真直ぐに聞こえないという現象を生み易いのだと感じます。

そういった意味で稽古とは、そのフィルターを一枚一枚剥がしていく作業のようにも思えます。

また、人によっては余計な知識を更に加えて、目の前のフィルターに色まで付ける場合もありますから、純粋である、素直であるというのが『大人にとっていかに難しいか・・・』というのを見せていただいております。

というか余計なものを背負いすぎの場合が多いような気もします。

皆さんも「余分なもの」を捨てる稽古しに来ませんか?(笑)

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