稽古内容
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氣の稽古とはなにか

氣の性質と働きを正しく理解すること。

そして大事なのは正しく健全な運用を行う(実践する)こと。

氣は万物に備わる生命エネルギー。「病は氣から」と言われるように我々人間の心身と密接な関りを持っていることは誰でも感覚的に理解されているように思います。そして合氣とは神の被造物である「氣」を運用した技術の僅か一端を人類が気付かせてもらったのだと私は思っています。

私たちが稽古で用いる氣はもちろん健全な方向へ向かう氣のことであり、自分の心身はもちろん相手や周囲の氣までも高め活性化させることを目指しています。

基本技の稽古で自分を整えること。相手や周囲、自然法則との調和を学ぶ。

自分を整えること

氣の性質と働きを良く理解することとは、どういう思考や行動が健全な方向へ向かい、何がマイナスの方向へ向かうのかといったことをしっかりと学び理解すること。そして柔らの理(自然法則)に沿った直線的な動き、氣の滞りや淀みを無くし流れを良くするための心身練磨が必要です。

相手や周囲との調和

大事なのは相手を尊重し調和すること。調和のとれた動きはしなやかで無理、無駄がなく自分にとっても受けを取る相手にとっても心地の良いもの。肉体重視の稽古ではありませんので関節技や荒技でねじ伏せるような力任せの技は稽古いたしません。その分誤魔化しが利きませんので難しいと感じられることがありますが、年齢や性別、体格の大小などは全く関係なく稽古できるというのが氣の魅力の一つでもあります。

正しく健全な運用を行う(実践する)こと

何より大事なのがここであると私は考えます。道場で学び気づいたことをどうアウトプットするか?日常で実践し健全な方向へ活かしてこそ新たな何かが得られるのです。

実戦とは

無限道場では「人と争わないでください」と言って強く戒めています。実戦とは自分自身を弱い方向、マイナスの方向へと向かわせようとする目に見えない魔との闘いであり、そのものを見極めることと立ち向かう勇気を身に付けることが目的です。

護身とは

いざという時に身を護る術であることはもちろん大切ですが、そもそもがそういう目に遭わないような思考や行動に心がけることの方が大切です。また現代人は護身よりも心を護る”護心”の方が大切なように思います。

相手を観る目を養う

相手や周囲の「氣」を観る目や感覚を開き、更には練磨する。肉による目線ではなく、氣の目線(観点)を養い磨くための稽古です。

呼吸や中心軸。しなやかで強靭な柔らのカラダ

無限道場の稽古はとにかく身体造りを重視しています。急所が集まる正中線を護り、しっかりと安定した中心軸の感覚を身に付けることで自由に動けるカラダ造りを行います。氣を活かすには無駄なく運用するためのカラダ造りが必要不可欠なのです。

全身の末端に至るまで活きたチカラで満たす(チカラの抜けていない身体)活きた自然体造りが目的であるため、力を抜く、緩めるという概念はありません。「技を掛けるために力を抜く」のではなく、「活きた身体動作が技となる」という考えに基づきます。

相手とぶつからない直線的なチカラ

 

相手と”ぶつからないチカラ”を求めて稽古します。

より直線的で無理、無駄の無い動きを求めるということは、自分にとっても相手にとっても掛かる負荷を最小に抑えることが可能であるということが言えます。これは相手の力を”いなす”、相手の力を受け入れるといったものではなく、しっかりと正面から向き合うからこそ出来ること。

更には”澄み切ったチカラ”を目指して!!

淀みなく澄んだチカラは自分だけでなく、技を受けた相手にとっても痛みや苦痛はなく心地良ささえ感じるもの。肉体を偏った使い方や力み、詰りから開放し、しなやかで強靭な自分の芯(中心軸)をしっかりと持つ強さを身に付けること。そして心の状態もクリアであるように心身を練磨していくことによって「真の柔ら」となることが重要なのです。

 

● 大東流合気柔術の”合氣”の基本技を中心にした稽古です。
● 「柔の理」に沿った無理、無駄のない自然な動きを養成します。
● 相手を観る目、集中力、洞察力の養成。
● 他人と優劣を競う試合はありません。
● 力任せの体力勝負ではありません。
● 痛い技(逆関節極め)無理な荒技の稽古はありません。
● 怪我の心配はほとんどありません。
● 自分でも知らない自分に気づかされます。
● スポーツが苦手という方でも大丈夫です。

無限道場では身体のゆるみや脱力状態は求めておりません。

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