氣は取り入れ方より出口が大事

どれだけ波動の高い氣を取り入れても、十分に発することが出来る「出口」が整っていなければ氣は詰り、流れが滞るのだと私は感じます。
氣というエネルギーを十分に発するためにはカラダを十分に開放/解放すること。
その過程においては以前にも増して詰まったような感覚が出ることもあります。それは「開く」という言葉で判断して誰もが誤った開き方「肉体の感覚」優先で体を開こうとするから。
しかしそれは避けては通れない道であると私は思っています。
遠回りのようにも感じますし、「効率よく最初から良い開き方をしたい」と思われる方が多いと思いますが、私の感覚では幾層にも重なった肉体感覚の殻というか膜のようなものがあり、それを突き抜けて(氣づいて)いかなければたどり着けないエネルギーの領域のようなところがあるのです。
目覚めというか一種の覚醒ですかね。
ですので、遠回りのように感じる過程でもそれを経験して自分で突き抜けていく必要があるのです。
「急がば回れ」と言いますが、回り道のように感じながらでもじわじわと開き続けていくことで、氣づけば力強く大きなエネルギーを開放出来るような感覚が身に付いていくのです。
無限道場の氣の稽古はエネルギーの出入り口を十分に整えるためのものなのですから。