氣の稽古は癒しと解放
氣の稽古とはなにか?
私たちの稽古は合氣柔術がベースのカラダ作り、護身の感覚を磨くための稽古、トレーニングなのですが、そこで求める『氣』というものは摩訶不思議な術を使うことや他者に勝つことを目的とした技術でもありません。
何だか厳しい修行の上に身に付く特別な能力や感覚とも思われがちですが、私自身そんな過酷な稽古をやっている訳でもありません。
ではどのようなものなのか?
一言で言えば真の自分自身を開放する(解放)ということ。
「その作業は過酷で自分をいじめ抜くような辛い稽古なんでしょう?」いえいえその逆で自分を癒し全てを認めていくような作業だと思います。過去の情けない自分、嫌な自分、弱い自分、みじめな自分・・・。それらを全部認めて癒し、許しそして解放していくような作業、そして愛せる自分を探していくその作業の繰り返しであり、自分を認めていく作業だと私は思います。
武術がベースの稽古なのに
と思われるかもしれませんが、我々が求めるのは護身目的ですので、己をしっかり知ることが出来なければ他者のことを正確に観ることなどできません。己をしっかり知り、自分を愛していなければ高いエネルギーが味方に付くとは思えません。
氣は嘘をつかない
というか氣の世界は嘘のない実の世界ですのでね、その世界に身を置くうえで一番の障害となるのは『偽りの自分』です。偽りの自分は重いし遅い、真の自分になればなるほど軽くて速く、そしてもちろん楽なのです。
そういう意味では癒しと解放なんですよね。
自分を整えていくという作業であり、プチ覚醒の繰り返しのような作業ですね。
何かを身に付けるために重くなるのではなく、余分なものを捨てていくから軽くなるという感じの稽古
我々の稽古は氣トレですからね。
※余談ですが
私は北斗の拳のトキのような柔らかくて華麗な拳を目指しているのです。というのもあってか無意識のうちに稽古に癒しの効果があるような内容を組み立てているんですねぇ。元がそっちの人間だからトキに惹かれるのか、その逆なのかは分かりませんが。