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合氣自由術とは
氣エネルギー目線の護身術&心身活性法。大東流合気柔術の合気が主なベースになっており、肉体(物質)の視点からではなく、目には見えない氣エネルギーの視点から捉えたカラダ作りと感覚磨きとなっております。
合氣について
見えないチカラを味方につける
無限道場の合氣とは、人の本質は目には見えないエネルギー意識体であり、肉体をその働きに素直に従えるように整えることを合氣のカラダづくり、そして整うことで生まれるチカラを自在に操るための術を合氣としています。※無限道場では意識に沿って整った状態をカラダ、そしてチカラとして表現しております。
合氣自由術とは『武道』・『武術』・『合氣』など枠に捉われずに活動をしていきたいという思いからそのように名づけました。

本来のチカラは「自我」という枠を超えた先にある
というのが無限道場の合氣に対する基本的な考え方です。自分がいくら脱力していようと緩んでいようと、その目的が「技を掛けるため」のものや利己的な強さを満たすためのものであるならば技として成立しないが、「自我」を捨てれば捨てるほど本来のチカラが開放/解放され、より柔らかくより早く、自他共に心地よいものとなるという世界観。
護身術の稽古を通して「自我」と向き合い、真の自由、愛のある強さを身に着けていくことを稽古の目的としております。
「武術」としてなどの目的、そして年齢や性別、体格の大小や力の有無など肉体的な要素は何の問題もありません。
本来のチカラは肉体「自我」という枠を超えた先にあり、その可能性は無限なのですから。
※痛い関節技や身体を傷めるような荒技の稽古はありません。
氣エネルギー目線の護身術&心身活性法
意識体(エネルギー体)を優位”主”として肉体を”従”とする
自分の在り方に活氣と勢いを持たせる
人は誰でも魂・意識体・エネルギー体の存在であり、また肉体としての存在です。
このどちらを優先に自分を整えるか。その順番、前提の違いは稽古の組み立て方も違えば、出来るカラダ、求める要素も大きく違います。合氣自由術の稽古は意識体(エネルギー体)を優位”主”として肉体を”従”とするもの。
体を柔らかく使うために力を抜く(脱力)や緩みを求めるのではなく、”エネルギー”の働きに素直に従えば柔らかく、そして軽く楽に動けるということ。
稽古を重ね十分なエネルギーが主になってくると姿勢など自分の在り方に活氣と勢いを持たせますので、逆に脱力、緩んだ姿勢が出来なくなります。
何故このような順番なのか?
それは肉体は加齢による衰えや体格の大小によって差が生じますが、氣エネルギーの働きはそうではありません。むしろ純粋であることや自分に嘘がないことなど「身」の内面を磨くことによって差が生じる世界。
エネルギー目線の合氣であり、護身術であるということです。
よければブログ記事を参考にしてください。
主な稽古内容
氣の感覚を磨く”覚醒のためのツール”として
●氣の働きを重視した呼吸法や正しい姿勢。
●明確な意識の働きを学ぶ。
●思考優位から感覚優位へ。
●氣というエネルギーの純度と質を高めるために何が必要か?
●肉体重視と氣を重視とではカラダを遣う順番が違う。
●相手を大切に扱う精妙な動作を身に付ける。
●氣の働きを観る目を養成する。
●非暴力的な解決のための護身、感覚養成。
などなど
こんな方に
武道・武術にはあまり興味がないけれど自分を高めたい、日常生活や仕事に役立てたい。セラピストとしての感覚向上に役立てたい・・・最近そんな方の入門が増えています。
●エネルギーを高めたい
●感覚を磨きたい
●肉体を超えた自分に触れてみたい
●丁寧な動作を身につけたい
●自分で姿勢を矯正したい
●呼吸法を学びたい
●護身武術として
●セラピストの感覚向上
などなど
求める強さは
相手に勝つため、優位に立つためといった肉体次元の強さを求めたものではありません。
稽古素材は非暴力的な解決のための護身を目的としたものであり、愛と品格のある技として、更には精神性の向上を求めた内容となっております。
【私が無限道場で合氣を伝える原動力となった経験について】
よかったら下記ブログ記事を参考にされてください