気付く”楽しみ”を味わう
私が思う合氣の稽古とは
日々の稽古によって
己に気づくためのもの。(良いところ、至らないところ)
そしてその至らなさを改善するためには”練磨”が要るということ。
人間そう簡単に性根が変わるとは思えませんのでね。
その気づきと練磨の繰り返しによって
人はようやく”芯から変わる”ことが出来るのだと私は思います。
ここで一つ言えることは、
「気づくことができる」ようになるまでにも
相当の修練が必要であるということ。
神様はそう易々と「楽しみ」を与えてくれないのかもしれませんね。
この楽しみを味わう前に諦めてしまわれる方も多いのでね。
大東流合気柔術 無限道場
道場長 竹内 研二
気付けると嬉しく、やっと分かったのか~とガッカリもして、でも、こうして少しずつ自分の足りなさを受け入れて、技だけでなく、人生全般ゆっくりあるいていきたく思っています。
そうですよね。気付いても「受け入れる」事が出来なければ何も変わりませんよね。