基本技の面白さに益々はまる自分

経験を積めば積むほど、基本技の面白さにはまっている自分がいます。

基本技とは”術”の修得のために必要な動作を体系化されたものだと思います。そしてその一手一手に込められた意図は、先人達の血のにじむような研鑽によって遺された集大成であるとも思います。

「なぜ先人達はこの位置に手を置くように定めたのだろう」

「なぜ足運びをこのように定めたのだろう・・・」

その一つ一つを丁寧に謎解きしていくように稽古するのがとても楽しいのです。

前出のように基本技とは”術の修得のため”という意味合いはもちろんですが、どんな時でも基本通りに努めるよう”己の精神を律する”ものであると思います。

ただ”基本技”と聞けば「その道の入口にすぎない」ようにも捉えられるでしょうが、「先人達の思いや知恵が詰まったもの」だと捉えればどうでしょう。素直に先人達の知恵に耳を傾けるように、”己を基本に合わせる作業”がとても重要だと感じます。

そしてその作業が、私には”お宝に繋がる謎解き”をしているように思えてならないのです。(笑)

またこうも思います。「基本技を軽んじることは、先人達の思いを軽んじているに等しい」ということ。何事も基本技を軽んじている者には、その恩恵を受けることなどないのではなかろうかと思います。

大東流合気柔術 無限道場

道場長 竹内 研二

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