無限道場の霊主体従
霊主体従、体従霊主。
合気道の開祖植芝盛平先生はこのような言葉を用いて伝えておられたとか・・・。
言葉だけを見ると前者は精神主義、後者は物質主義として安易に捉えられそうですが、私は『肉体ではない働き』を合氣柔術やその他で実体験した後に「この感覚を言葉にして表現することはできないか」を探してそのような言葉が存在することを知りました。
霊主体従
私はこれを『霊主』とは言わず『氣が主』意識体やエネルギー体が主であり、体はそれに素直に従えるように環境を整えることこそが、軽く、快適に動作ができるものとして捉えております。
なんでしょうねぇ、『自分』という存在は確実に肉体の働きだけではない何かの働きがあるのですよ。そしてその働きに素直に従うことがとても軽く、本当に心地がよいのです。
つまり心の働きを大切にしましょうという思想のことではなく、精神の働きはそれに伴うエネルギーの働きが実際にそこにありますので、そのエネルギーを使いましょうということなのです。
それはエーテル体とかアストラル体、コーザル体などと呼ばれるものなのかも知れませんが、その区別は私には出来ませんので、ざっくり『意識体・エネルギー体』として捉えております。
虚と実が入れ替わったような感覚
力を思いっきり使ったときの充実感、その後のなんともいえない爽快感を感じる。
そんな時は肉体で実感出来る力こそが『実』であり、氣の働きなど目には見えないチカラの働きは実感のない空気のような存在『虚』のようなものとして気にも留めていないと思います。
それはそれで肉体を味わうという意味では非常に素晴らしいことなのですが、長年『氣』という目には見えないチカラに触れようとしていると”虚と実が入れ替わったような感覚”が備わってきたというか、優先順位は完璧に変わってしまいましたね。
というより我々『人』の本質みたいなところへ還っているからこそ軽く、快適な動作が出来るようになってきたのではないかと思っています。
私が稽古を通して皆様にお伝えしているのは
軽さ、快適さ。心地よさ。
おおよそ武術で求める要素ではないかもしれませんけどね。