守破離の「守」
守破離(シュハリ)とは
剣道や茶道などで、修業における段階を示したもの。「守」は、師や流派の教え、型、技を忠実に守り、確実に身につける段階。「破」は、他の師や流派の教えについても考え、良いものを取り入れ、心技を発展させる段階。「離」は、一つの流派から離れ、独自の新しいものを生み出し確立させる段階。 とコトバンクにある。
今日はこの「守」について
「守」は、師や流派の教え、型、技を忠実に守りとありますが・・・
皆さん「忠実に守る」って出来ていると思いますか?
守破離ではなく、「我破離」や「私破離」、「己破離」になってしまっていませんか?
私が思うに「守」師や流派の教え云々を忠実に守るとは自分の考えを離れ、もしくは捨てて、その教えに素直に従う姿勢が必要なのであり、うちの道場で云えば理合(自然の法則)に従うということなのですが・・・
以外にこの「自分を捨てる」ということが出来ない人、結構多いと思うんですよね。
素直に従っているつもりでもついつい「自分」が出てしまうみたいにね。
特に無限道場で合氣を学ぶことは理合(自然の法則)に従うということ。
人が決めたルールではなく神の定めた法則に従うということなので、そこに少しでも「我」や「私」、「己」のようなものを混ぜると理解できないように思います。
なので私が稽古でやっていることは技を磨くということではなく、いかに「自分」というものを捨てきれるかを求めてやっているつもりでいます。
それでも中々出来ない(捨てきれない)ですからね。
大東流合気柔術 無限道場
道場長 竹内 研二