”氣の特性”という表現は日々の稽古による”経験”から得られたもの。
私たちの合氣柔術は”氣の特性”を活かした護身武術の稽古。そしてその”特性”という表現は学問として得たものではなく、実際に稽古によって身体の感覚から学んだものです。
つまり、日ごろの稽古において常に目に見えない働きを意識することによって観えてくるものや、僅かな変化を感じ取る感覚が養成されていくということです。
ではどのような稽古を行っているのか?
私たちの稽古は護身を目的としたものでありますが、受けつまり投げられ役の相手に対してもまるで客人に接するかのように丁寧に柔らかく接することを求められます。
手首を捻ることもしなければ無理矢理に投げることもしない。そればかりか、接する態度でさえ悪ければ注意を受けるといったもの。
なぜなら”柔ら”ですからね。(単純ですが)
一般的に護身術の紹介動画などでは相手が先に仕掛けてきたのだからお返しにとばかりにボコボコにやり返す動画をよく観ます。
まあ紹介ですからね観る分にはカッコイイのでしょうが・・・
それを日々の稽古でやると相手に恨まれます。(笑)
というより雑に相手を扱うことは即ち相手の反応もまた”反発や抵抗”でしかない。
雑な稽古の積み重ねは雑な結果しか生まれない。(反映されない)
私はそう思っています。
丁寧な稽古は精妙な結果を積み重ねていくばかりか、新たな”氣の可能性”を開いてくれる。
その経験からくるものが前述した”氣の特性”なのです。
日々の稽古の積み重ね
ここで何を積み重ねるのかは重要ですよね。
それが”自分自身の氣”に大きく反映されるのだとしたら、あなたは何を積み重ねたいですか・・・?