目指すのは『品格と優しさを備えた侍』

私が合氣の道を歩み、そして何を伝えたいのか・・・?

備忘録として自分なりにまとめてみることにしました。

とにかく一番キライなことは

稽古相手に対する礼を欠いた態度が一番キライ

うちの道場、正面に対する礼もなければ神棚も飾っていません。

その上道場長である私に対する忖度など全くありませんが、それに対して礼を欠いているとは全く思いません。

ただし、稽古相手をぞんざいに扱うなどの態度に対しては『雷を持って』対応させていただいております。

ただ相手に技が決まればよい、相手に優位に立てればよいというのがどうしてもキライでね。

稽古を通じて人としての品格を磨きたいと私は思っています。

合氣の技至上主義ではない

確かに合氣は高度な技術を必要とするものであるとは思いますが、それが全てではない。

無限の可能性を秘めた氣の可能性の一端であると捉えており、高い技術を求めて稽古するのは自分が天狗にならないための戒めでもあるということ。

氣の働きを学ぶ上で大切にしていること

自然の理など絶対に抗うことの出来ない法則に素直に従えること。などなど・・・

氣の働きが主、そして肉は従であるということ。

氣の稽古は自分自身の波動を高めること。無邪氣であること、心を純粋に磨くこと。

などなど色々と自分なりに考えてみたのですが

つまり目指すものは品格と優しさを備えた侍でありたいということ。

現代に必要な侍スピリットを私なりにお伝えしていきたいと思います。