人間の常識ほどいい加減なものはない

常識に囚われすぎると
合気の稽古は本質が見えないかもしれない。
『常識的には』

気は可視できない
しかし、可視できないものでも
人間にはそれを感じとる『感覚』が備わっている。
『常識的には』
相手を投げる(崩す)際に
自分の身体に力の充実感や相手に掛けた重みを感じる
しかし、合気の稽古において
上手くいったときは自分の力の充実感は感じられないほど軽い。
また、これは私の経験からですが
気という可視できない力を表現する際に
少しでも『常識的』な例えの方が相手に伝わり易いかな?と
他の言葉を用いて「気とは●●のようなもの」だとか
表現してみましたが
結果、遠回しな表現は余計にややこしく
皆さんの頭を混乱させてしまったようで・・・
どうも非常識なものでも非常識のままストレートに
表現した方がいいみたいですね。
でないとそのものが持つ言葉のエネルギーまで
変化させてしまうようです。
その反省から
今では
気=気
それを感じとりたいなら
いい意味で非常識になって
自分の感覚を高めりゃあいい
と少々乱暴ですが開き直っております。
私は思う
人間の常識ほどいい加減なものはない

大東流合気柔術 無限道場

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