伝わる|伝わらない。この一線について。
伝わる
伝わらない
この一線について。
旧約聖書 創世記には
「神がハガルの目を開かれたので、彼女は水のある井戸を見つけた。」
とあります。※詳しくは創世記 第21章をお読みください。
つまり神によって目を開かれない限り、ハガルは井戸を見つけることが出来なかったと解釈できると思います。
私は氣や合氣の感覚も同じだと思っているのです。
目には観えない存在に与えられる、氣付かされることで得られるもの。
であるならば、それに相応しい器(自分)とはどうあるべきなのか・・・
というのが私の思う「自分磨き」であり、
他力を使った合氣の「心根」なのです。
「私は自力で開眼する」
「私は自力でその感覚を掴む」・・・
主語が「自分」である人にはなかなか伝わりにくいというのは事実。
何でも”自力”でやろうとする傾向が強い人には、エネルギーの空回りという場面を見受けられるように思いますのでね。※私もそのような傾向があるので自分なりに注意しています。
私に出来ることは
「氣付く」のではなく「氣付かされる」
その違いを伝えること
そして各人が目には観えないチカラとどう関わるかという事かな。
「私が」教えて伝わるもんでもないしね。